- 開催日時: 2020年10月31日 14時-16時
- 開催場所: テラプロジェクト Aゾーン
- 参加者: 企業賛助会員:1社
個人会員:4名
外部参加:16名
事務局 :5名 - 話題提供者 : 龍谷大学 里山学研究センター・フェロー 田中 滋 氏
- 談話会
話 題 「 ⾥⼭・⾥川と”農”の今昔−⾥⼭学への誘い− 」
環境社会学は私が専門とする研究分野の一つで、龍谷大学の「里山学研究センター」の設立にも関わった。
⿓⾕⼤学は1994年に瀬⽥キャンパスの隣接地の⾥⼭(38ha)を購⼊しグラウンド増設しようとしていたが、そこにはオオタカが⽣息していることが分かり、⼤学は開発を断念し、研究・教育の場として活⽤することを決めた。
そして、2004年には学内に現在の「⾥⼭学研究センター」の前⾝である「⾥⼭学・地域共⽣学オープン・リサーチ・センター」が設置された。
里山は、もともとは村の共有林=⼊会(いりあい)林を中⼼とする⼭林で、伝統的な水田耕作に肥料や飼料を供給していた。「近世のかなり集約的な⽔⽥経営では、炊事や暖房のための薪材としては村の⾯積の2〜3倍、刈敷(肥料)としての柴の需要は⽥畑の10〜12倍の雑⽊林が必要であった」(湯本2018)と言われている。
人びとは燃料にする薪炭や柴草、食料を補う山菜、キノコ、⽊の実、そして建築⽤材などの原材料などを里山から得ていた。里山は、原生的な自然林ではなく、人の手が入った「二次林」として人びとの生活を支えていたのである。
しかし、里山の過剰な利用がおこなわれた結果、江戸時代の里山は赤松の木がわずかに残る禿げ山となっていた。こうした禿げ山は全国で見られた。
伝統的な水田耕作では、中⼩河川の水を堰を作って取水し、近隣の集落や村と分け合っていた。
村内では、「⽥越し(たごし)灌漑」によって、上流の田から下流の田へ水を回していたが、渇水になると下流の田には水が供給されなかった。田越し灌漑のための⽔利秩序を守るために厳しい規律が生み出され、隣接する村との「⽔争い」(水論)では村の団結が高まった。村の祭りの多くは、村内の秩序の確認と他村との対⽴の昇華という性格をもっていた。
明治初期に山林の国有と民有との区分(官民有林区分)がなされ、里山が国有化された場合などでは⼊会紛争が頻発した。
戦後には、里山が供給していた肥料、燃料、原材料が化学肥料、石油・石炭、合成樹脂などに代替されていった。
その結果、不要となった里山にはスギ、ヒノキが植林され、都市周辺部の農村の里山では宅地・都市開発、ゴルフ場造成、⼯業団地造成が行われた。
入会地だった里山の分割所有化が進むと、⼊会地管理を介した村の団結が弛緩した。
その結果、「⼭論」(⼊会地の境界をめぐる隣村との激しい紛争)は減少したが、集落や村の対抗戦としての意味合いをもち盛況だった学校の運動会も、過疎の問題もあり、勢いを失っていった。
また、共同作業のための組織である「結い(ゆい)」の弱体化によって、たとえば多くの人手を必要とする「茅葺き」の作業ができなくなり、伝統的な「茅葺き屋根」の⺠家は各地で減少していった。
これらの要因が重なり、里山は里山でなくなり、里山の人工林化によって、比喩的に言えば、集落周辺に「奥山」が迫って来るということにもなった。
戦後、⽇本では復興のための⽊材需要が急増し⽊材が不⾜し、価格も⾼騰した。
⽊材需要に応えるため、広葉樹の天然林が伐採され、その跡地にスギ・ヒノキが植えられた。
⾥⼭の雑⽊林が伐採され、「奥⼭」の天然林も伐採され、成⻑が⽐較的早く経済的に価値の⾼い針葉樹の⼈⼯林が植林された。この植林政策は「拡大造林」と呼ばれる。
しかし、山村の主要産業である林業は衰退に向かっていった。⽊材が引き続き不⾜し、1960年代からは安価な外材が輸⼊されるようになり、木材価格は低迷するようになった。
若者は成⻑著しい都市へ流出し、林業は人手不足に陥り⾼齢化も進んだ。
また、阪神⼤震災以降、⽊造住宅は不⼈気となり⽊材価格の低下(1/10の価格へ)に拍車がかかった。林業は、カネにならない3K仕事となり、後継者不⾜が続いている。
林業の衰退は、拡大造林で増えたスギ・ヒノキなどの人工林の整備の遅れを招いた。
間伐の遅れはモヤシのように痩せたスギやヒノキが密集する貧弱な森を生み出し、⼭崩れや⾵倒⽊の原因となっている。
一方、奥⼭の広葉樹の減少は野⽣動物のエサ不⾜に直結した。
農山村の過疎化や猟師の減少は、⼈圧と獣圧の逆転を招き、⾥⼭・農地へ野生動物が出没して獣害がおこり、人びとの農業に取り組む意欲を減退させ、耕作放棄地が全国的に拡大している。
「拡⼤造林」は、河川にも影響を及ぼしている。
整備されていない針葉樹の⼭の保⽔⼒は低く、⽔の安定供給⼒が低下すると同時に、⽔害を引き起こす原因ともなった。
土砂の山からの流出は河床の上昇を招き(⼟砂に埋まる川)、⽔害リスクの増⼤が懸念されている。⾃然豊かでのどかな農⼭村が、⼭崩れ・⽔害・獣害に脅える農⼭村へと変貌した。
里山は「田越し灌漑」による水田耕作に肥料や飼料を供給していた。現在の圃場整備された近代的な水田では、用水の供給は暗渠とバルブによってなされ、冬期に畑として耕作する際の水はけのために水田の下に暗渠排水装置が設置されるという形で管理されている。
このような水田の管理システムでは冬場に⽔の無い排⽔路が生まれ、ドジョウ、フナ、モロコなどの魚類はその棲み家を失った。現在の水田はいわば工場化し、里山や里川とは無縁となった。
日本の自然保護は、山、海と続き、やや遅れて川を対象としてきた。山と海は川で繋がっている。山の栄養分が川によって海に運ばれ、海の生物を豊かにしている。
今後は、里山、農地へと自然保護の対象が移り変わっていくと思われる。里山も里川も、人間の関与(農業)によって恒常性を保ってきた「二次的自然」である。政府も、里地里山の保全を目指して施策を打ち出している。
また、環境省と国連⼤学サステイナビリティ⾼等研究所は、共同で「⽣物多様性と⼈間の福利のための⼆次的⾃然保全の推進」をコンセプトとするSATOYAMAイニシアティブ国際パートナーシップを推進している。
⾥⼭・⾥川や農地の環境保全は始まったばかりで、その道程は遠い。しかし、いつかはその保全がなされる。⼭岳や河川の保全が徐々になされていったように。
参考文献・資料
安曇野市「里山再生計画(本編分割)なぜ里山の再生が必要なのか?(1)(2)」
https://www.city.azumino.nagano.jp/uploaded/attachment/2653.pdf
湯本貴和2019年「⾥⼭の⽣態系サービス─その歴史的変遷と将来─」
⿓⾕⼤学⾥⼭学研究センター年次報告書(2018年度)』21−31⾴。
6. 事務局後書
今回は、田中教授のご友人お二人が関東からWEB参加されました。コロナの感染防止のために、止む無くロの字型式ではなくスクール型式で談話会を開催しています。反面、テラプロジェクトのご支援でWEBでのリモート参加も可能となり、思いがけない遠方からの参加がありました。
コメント