- 開催日時: 令和5年1月28日 16時-18時00分
- 開催場所: テラプロジェクト Aゾーン
- 参加者: 個人会員:40名(内リモート参加7名) 事務局 : 3名 合計:43名
- 話題提供者 :国立病院機構四国こどもとおとなの医療センター 中川義信名誉院長
- 演 題 扉を開ければ見えてくる新しい病院の形
- 講演内容 (概要)
(1) 開会挨拶:智の木協会 寺谷誠一郎理事長
寺谷理事長より、本日の新年講演会に参加された会員の皆様に対して、新年のご挨拶と御礼ならびに本日の講演会の講師をお努めいただく中川義信院長のご紹介があった。
(2) 活動報告:智の木協会 小林昭雄代表幹事
小林代表幹事より今年度の「智の木協会」の取り組みについてポイントを絞って説明があった。今年度特に注力する取り組みとして「智の木の森づくり」「5月11日開催の“智の木協会創立15周年記念シンポジウム“」、「会員交流の場としての“智の木パーチ”の開設」、「第3回 Green Hospitality Osaka シンポジウム(主催:テラプロジェクト)」等について詳しい説明があった。
(3) 講 演:国立病院機構四国こどもとおとなの医療センター 中川義信名誉院長
(4) 講演要旨
新石器時代に様々なハーブを使っていたことがわかっており、医療の始まりと思われます。ビールの材料となるホップもこのころに使われていた痕跡があります。紀元前3000年頃(エジプト医学の時代)にセロリの首飾りが作られており、何等かの治療効果を期待して首に巻いていたと思われます。紀元前300年頃、医学の父と言われるギリシャのヒポクラテスは、「病を癒すのは自然である」と述べています。私が若手の医者だった頃、「医者は自分が病気を治すのではない。患者さん自らが治ろうとしている。医者は、横からそれを少し助けるだけの役目だ。」と教えられました。今の若い医者の考え方 (医師のあるべき姿勢)が変わってきていることが残念です。
ルネサンスになると、当時の国王から人体の解剖が許され、レオナルド・ダビンチをはじめ優れた芸術家が詳細な人体のスケッチ(解剖図)を残しています。ルネサンスの芸術家は、絵画や彫像で正確な人体を描き彫るために、筋肉、骨格、内蔵の構造などを知りたがっていたのだと思います。当時、医師、薬剤師、画家は一つのギルドの属しており、アートはその一部でもありました。(医療イコールアートといえるかもしれません。)
1975年(昭和50)に大学卒業後、私が臨床医としての第一歩を踏み出した旧香川小児病院は、1897年に陸軍第十一師団の附属病院として開設されました。香川小児病院はすべて2階建ての病棟で、県立養護学校と看護学校が隣接しており、私が昭和50年に赴任した時には全国で初めて24時間365日すべての子供の救急患者を受け入れる病院となっていました。このことは、私の医療に原点ともなりました。
国立療養所香川小児病院で脳神経外科の臨床医とて勤務する傍ら、脳腫瘍の中性子補足療法の研究を続けていました。2000年(平成12)に、香川小児病院の副院長に就任し、以来病院経営に関わってきました。病院経営で重要なことは、「持続的な医療の提供」です。このためには、病院が経営的に自立して医療を提供できなければなりません。地域の公費に依存していると、地域経済が落ち込むと公費が削減され、医療を持続できなくなります。収入面では患者数の確保と診療単価の高い外科手術や高度医療を取り入れることが重要で、支出面では人件費が重きを占めます。言い換えれば、優秀な人材を確保して良質な医療を患者さんへ提供し、癒しのあふれた医療現場と働きやすい環境を作ることとなります。
2000年に副院長になってしばらくすると、看護部長からナースキャップを廃止したいと相談を受けました。このことが私にとっての病院改革の転機になっています。1998年頃から医療現場から次第にナースキャップが消えていきました。その結果看護学校の生徒が病院実習に臨む直前にナースキャップを初めて着用する戴帽式も無くなっていました。こうした経験から私は白衣も必要ではないのではないかと考えるようになりました。医療は法律に縛られているのですが、調べてみると白衣着用を義務付ける法律はありませんでした。そこで、看護師の白衣を子供のアニメキャラクターのユニホームに変えました。患者には識別できませんが、新人看護師は鳥や動物などのキャラクターのユニホームとし、看護師間では区別できるようにしました。看護師長は、ブレザーを着用し一目でわかるようにもしました。
ホスピタルアート導入のきっかけは、児童思春期病棟の壁にひっきりなしに空けられる穴でした。後に四国こどもとおとなの医療センターのアートディレクターに就任していただいた森合音さんの提案で、2009年に、補修した後の壁に、NPO法人、病院職員、入院患者、近隣の高校の美術の協力で善通寺の大楠を描きました。すると、穴が空かなくなりました。さらに子供たちがもっと書こうよと言うので、病棟全体へ画がひろがりました。この壁画は患者さん、職員の希望で2階の小児内科の病棟にまで広がりを見せました。(このことが将来の新しい病院建設に生かされました)
2010年には、森さんの提案で、背板に扉についた小さな椅子を廊下に置きました。背板の扉を開けるとメッセージと小さなプレゼントが入っています。子供たちは、プレゼントを見つけると歓声を上げて喜びます。座る面には、障害者施設から購入した花を置きました。
2003年に病院長となった頃、手術場のスリッパを廃止することが提案されました。そこで医療安全と感染対策の高名な先生に病院内を巡視していただいた後、手術場のスリッパを廃止することを相談しました。すると即座に「だめだ」と言われました。当時の香川小児病院は廊下等に埃やゴミが落ちており、汚れが目立つので、手術室専用のスリッパを廃止することはできないとのご見解でした。それから、ことあるごとに廊下のゴミ拾いをお願いし、閉院するまでに古い建物を磨き上げることを目指しました。そこで職員にあなたは廊下に落ちているごみを拾えますか?と投げかけたところ、病院幹部が率先して、廊下のゴミを拾ってくれ、やがてこの運動は病院全体に広がりを見せました。
2004年(平成16)に、香川小児病院は独立行政法人化して国立病院機構が運営母体となり、成人医療の善通寺病院と成育医療の香川小児病院が統合されることとなり、2013年(平成25)に、成人医療と成育医療を併設した四国こどもとおとなの医療センターが開院しました。2003年から香川小児病院の病院長となっていたので、四国こどもとおとなの医療センターの構想・基本設計・詳細設計を進めながら、香川小児病院の改革を続けました。
四国こどもとおとなの医療センターでは、「患者さんを癒し、自らも進歩・成長を続けられる病院」をコンセプトに、香川小児病院で取り組んできた「ホスピタルアーティストを配置して、病院全体をキャンバスに!」を目指しました。設計会社に白い模型を作ってもらい、見た瞬間に緊張感が解けるように建物全体のデザインを検討しました。そして、外壁に楠の幼木と成木を描き、成育病棟に楠にはハートの実を皆で描くこととしました。ハートの実は、下絵を患者の小さな子供たちに画いてもらいました。
医療センターには、隣接して、養護学校があります。大人の感染症が子供たちへ感染しないように、子供の感染症が老人に感染しないように成人医療と成育医療の入り口が分かれています。また、徹底した「見える化」を実現するために、建物内部には視界を遮る壁がありません。1階の事務スペースにも壁が無く、成人カウンターから成育カウンターが見通せます。また、病院長室、部長室、研修医室、医局、共有ラウンジなども廊下側の壁はガラス張りです。これは患者さんやその家族、病院職員に対しても我々は隠すことはしないという信頼を得るための意思表示でもありました。
成育棟では、デザインコンセプト、サイズ、色づかい、材料の選定、サインとの連携、法規制との整合性をトータルにコーディネートするために、例えば、3階は桃色、4階は水色、のように各階毎にシンボルカラーを統一しました。各階毎のシンボルカラーは、病室名やカーテンにも使っている。このため、夜になると、各階の病室がシンボルカラーになります。
事務棟・医局・病棟のトータルコーディネートは進みましたが、霊安室からご遺体を送り出す地下通路はコンクリートの打ち放しで殺伐としていました。そこで、2014年に「青い花に」プロジェクトで、職員が通路に青い花を描き、ご家族の方に大変喜んでいただいた。また、同じように殺風景だった手術室までの通路、天井に讃岐富士の画を描き、窓の無い手術室の壁に窓を描きました。
四国こどもとおとなの医療センターが広くて、「どこに何があるのか分かり難い」との声が患者さんから聞こえてきました。行先表示のサインの改善を続け、文字だけではなく視覚で目的地へ着けるようにしています。また、「どこにエレベーターがあるのか分からない」とのご指摘を患者さんから受けました。そこで、エレベーターのピクトグラムを機関車が運んでいる方向へ行くとエレベーターに着くように表示しました。一方、老人の多い成人外来では廊下の手摺の下に花と葉が描かれていて、花を辿っていくと放射線科に、葉を辿っていくと検査科に着くようになっています。これは、富士フィルムさんから資料提供を受けました。
四国こどもとおとなの医療センターが開院する時に、香川小児病院に隣接していた養護学校も移転してきました。養護学校とは香川小児病院時代から、何かと連携してきました。子供たちが、養護学校へ通えるのは高校3年生までです。卒業記念に生徒さんに、医療センターと学校の境界にある塀に蝶を画いてもらっています。
香川小児病院では、森さんの提案で椅子の背板に扉をつけて小さなプレゼントとメッセージを入れていました。医療センターでは、壁に3種類のニッチ(くぼみ)を作りました。その中の扉のあるニッチには、プレゼントが入っていて、誰でも持って帰っていいことになっています。このプレゼントは子供向けで、全国のボランティアが送ってくれるので、プレゼントが足らなくなることはありません。
ホスピタルアート効果は、「患者さんにとって良質な療養環境を提供できたか」、「癒しのあふれた職場環境や働きやすい職場が作れたか」ですが、計測するのは困難です。ただ、医療センター全体で、医師が約100人、看護師が約700人、薬剤師・技師・療法士などが約120人の方々が働いています。ホスピタルアート効果だけが要因ではないのですが、職員を募集がやりやすくなりました。
ホスピタルアートには、新しい作品の購入、作品の維持管理と言った費用が必要です。一方で、患者数の増加、在院日数の短縮、人材確保などの効果が期待されます。開院時の初期投資は、医療センター全体で約200億円(土地代別)で、その内ホスピタルアート関連は2700万円(0.14%)でした、ランニングコストとして年間200万円程度で、経常収益140億円の約0.02%です。欧米では2%と言われています。日本の病院は、一般的な公立病院の医業収入の1.0-1.2%が経常利益ですから、ホスピタルアートに2%を注ぎ込むことはできません。
ホスピタルアート効果だけではありませんが、見学者や様々な講演会に呼ばれる回数も順調に増加しています。市民病院などを建て替える自治体の方が多く来場され、北海道からも見学に来られました。マスコミ取材回数の増え、NHKのクローズアップ現代にも取り上げられました。ボランティアの方々の数も右肩上がり増加しています。善通寺市の人口は、約32,000人です。ある人からは、「ボランティア活動は、東京・大阪などのお金持ちの多い大都市で盛んなだけで、地方都市では期待できない」と言われましたが、蓋を開けてみると、多くの市民がボランティアで病院運営に参加してくださいました
人材確保の面では、看護師の離職率が全国平均10.9%に対して医療センターでは8.1%と低くなっています。離職率が低いのは、医療センター全体の評価ですが、ホスピタルアートの効果あってものだと思っております。これらの結果、医療センターは独立行政法人として、黒字を続けており「継続的な医療の提供」を実現する基盤ができたと思っております。
ホスピタルアートの原点は、「ホスピタリティーにあふれた医療環境と職員の和と輪を醸成する為のツールの一つである」と言えます。しかし、本当は「廊下に落ちている小さなゴミ
あなたは拾えますか?」と言う問いかけが、癒しにあふれた医療環境で患者さんに医療を提供できる基盤だと私は信じています。
(5) 事務局後記
終りに、中川先生から、中川先生と森合音さんの共著の「扉を開ければ見えてくる新しい病院のかたち―今までになかったあたたかな病院を作る」の紹介がありました。一般書店では販売されていない本で、アマゾンで購入できるそうです。
コメント