〇日 時:2023年5月11日(土)
<講演会:15:00~17:30、交流会:17:45~19:00>
〇場 所:富国生命ビル4Fテラプロジェクト「エレベータホール」ならびに「まちラボ/Aルーム」 〇参加者:70名(会場参加:51名、リモート参加:12名、事務局:7名)
○司会進行
大河内基夫 事務局長
・当日は、大河内基夫事務局長から「創立15周年記念シンポジウム」の開会宣言があった。
・また、当日の配布物として、創立15周年を記念して作成した記念誌「智の木協会~15年の歩み~」の紹介に加え、賛助企業会員様から参加者へご提供いただいた商品の紹介があった。
開会挨拶
〇智の木協会 理事長 寺谷誠一郎
・本日は、「智の木協会創立15周年記念シンポジウム」に大勢の皆様にご出席いただき、誠にありがとうございます。
・私は、小林代表幹事から要請を受け智の木協会理事長に就任して3年経ちます。軽い気持ちでお受けしたのですが、この智の木協会の育ての親である先生の熱い想いがお一人お一人に伝わり、この15年をかけて大きく広がりました。これまでのご尽力には本当に頭が下がる思いです。
・この小林先生の想いというのが森にかける思いであり、我が国の60%弱が森や山に囲まれ、毎日木々たちは綺麗な空気を私たちに供給し、夏の暑い日でも決して水が途切れないように、水を作ってくれます。また、春夏秋冬に木々や花や木々が本当に安らぎを与えてくれます。
・我々日本人がもう一度原点に帰って、野山の美しさ、そして綺麗な空気、綺麗な水を供給してくれ、春夏秋冬、様々な花たちが癒してくれる。これをもう一度日本人のDNAとしてしっかり後世に伝えたい、そう思われて小林先生が15年前に「智の木協会」を創設されたと勝手に思っています。
・私たち一人一人がその気持ちになって、この智の木協会をもっともっと広く大きく、そしてこのDNAを子供たち一人一人に教育として受け継がれたらこんな素晴らしいことはないと考えております。今日の創立15周年記念シンポジウムは、小林先生に送る御礼のシンポジウムなのではとも思っております。今日は、これからいろいろな方々にご講演いただきます。皆さんから様々な想いをいただいて、明日へのエネルギーにして行きたいと思います。今日は、ご参列ありがとうございます。
来賓祝辞
○富国生命保険相互会社 不動産部 部長 武田 剛 様
(代理:富国生命保険相互会社不動産部 不動産運営グループ 課長 中條良宏 様)
・本日、不動産部長の武田が来て挨拶する予定でございましたが、未明の地震の影響で代わりに私がお話しさせていただきます。
・まずは、本日の智の木協会創立15周年記念シンポジウムにお招きいただきありがとうございます。そしておめでとうございます。私ども富国生命は、今から丁度100年前、1923年に創業いたしましてお陰様で今年の11月22日に100周年を迎えさせていただく区切りの年でございます。
・弊社の創業理念の中で社会への貢献というものが謳われております。生命保険業そのものが公共性が非常に高いということはありますが、積極的に社会に対して貢献していくという姿勢は創業当時から現在に至るまでずっと続いてきております。
・さらに弊社は、静岡県伊東市に山林を所有しており、それが当富国生命ビルの吹き抜けのアトリウムの名称の元となりました。富国生命の森プロジェクトということで山林の保全活動を2006年度から継続して現在まで続いております。そうした背景もあり、私ども富国生命は、智の木協会様の設立趣旨に共感・賛同し、正会員として参加させていただいたという経緯がございます。私どもとしましては、智の木協会様の活動に対しまして、今後も可能な限り支援を継続させていただく所存です。
・最後に寺谷理事長様、小林代表幹事様、本日ご列席の皆様の益々のご健勝と智の木協会の益々のご発 展を心から祈念いたしまして、お祝いの言葉とさせていただきます。
〇清水建設株式会社 関西支店営業部 営業部長 松村 和幸 氏
この度は、智の木協会創立15周年誠におめでとうございます。心よりお祝い申しあげます。一重に寺谷理事長、小林代表幹事を中心としたご関係の皆様のご尽力の賜物であると思います。
・我々がこの大阪富国生命ビルの建て替えにあたって、この場を産学連携によって社会貢献事業の目的として活用したいというご相談を小林先生にさせていただいことから関係が始まり、2010年から正会員として智の木協会に参加させていただきました。
・智の木協会は、2007年の地球温暖化の懸念が浮上した状下で森づくり、植育活動の普及に努める団体として2008年5月に設立されたと聞いております。この富国生命ビルに移転されたからは、定期的にシンポジウムやワークショップを盛んに開催され会員の皆様の交流の場を提供されてきました。
・最近、我々の会社でも智の木協会様の活動を追いかけるように、脱炭素や再生可能エネルギーの活用 など環境との共生を目指す取り組みを始めております。これからの智の木協会様には、常に社会の一歩前を進むということで発展されることを祈念しております。
・智の木協会様が、次の20周年、30周年を迎えられるように、我々としても微力ではありますが、お手伝いできればと思っております。智の木協会様の発展と本日ご列席の皆様のご健勝とご多幸を祈念いたしまして、簡単ではございますがご挨拶とさせていただきます。
智の木協会のこれまでの活動と今後の展望
〇智の木協会
代表幹事 小林昭雄
・本日は、お忙しい中この智の木協会創立15周年記念シンポジウムにご参加いただき、誠にありがとうございます。また、祝辞等身に余るお言葉をいただき、大変光栄に思うとともに身の引き締まる思いがいたしました。あっという間に15年が過ぎたなという感じがしております。
・智の木協会を作るにあたって大阪大学の先生あるいは企業の方々にご尽力いただきましたので、今日は、その辺の話、レガシー的な側面をお話しさせていただきます。
・私が大阪大学に赴任したのは、1995年です。大阪大学でどんな研究をしていったらいいか、今日会場にお越しいただいている、大阪公立大学の岡澤先生などと相談しました。間もなく21世紀、「21世紀はグリーンゴールドの時代」、緑が金に値する時代であると言われていました。この時代、専門分野の生物工学の中で、どんな研究をしたら良いかあれこれ考えておりました。
・その頃から、我々の生活圏、バイオスフィア生物圏の持続性を我々は真剣に考えていかなくてはいけない。この地球という生物圏が全くの偶然で出来上がったということを我々は知らなければならないということを念頭に研究を進めることになりました。2002年にイギリスを訪問した際にイングリッシュガーデンの素晴らしさに魅せられ、これを、大阪、梅田でやれないかと思いました。2005年に都市の魅力づくりの一貫として、地球の持つ素晴らしさ、地球の財産をみんなで発見しようという提案を企業へ行い、愛知万博で「地球の素晴らしさを学ぶ授業」を提案しました。愛知万博で皆さんに見ていただいたその内容について、智の木協会HPに動画としてアップしていますのでご覧ください。
・バイオテクノロジーが進めば、梅田で1000年の木を育てられる、植物が持つポテンシャルは明日を我々に教えてくれる一つの示唆的な存在であるように思います。私が育った長野県飯田市にはリンゴ並木があって、秋になるとリンゴが稔ります。このような実のなるものを街におけたらいいなあ、植物の持つ一つのポテンシャルってすごいな、というように思いました。
・それが智の木協会を思いつく一つの兆しになりまして、今副理事長をお勤め頂いておりますコクヨの黒田さんに相談して、企業の方々のご協力を仰いで智の木協会の原型が出来上がりました。と思いました。智の木協会の活動として、お手元にある智の木協会のパンフレットにも記載しておりますので、皆様ご承知かと思います。
・智の木協会は、日本の産学官の連携組織であり、植物と密なライフスタイルを普及することを目的として、大阪大学の教員と富国生命様など企業関係者が中心となり、2008年5月4日(みどりの日)に設立いたしました。
・商標登録している「植育」なる語は、「育てる喜び、そこには苦労がありますが、苦労が故に喜びがあり、それからできたものを収穫する喜びに繋がり、この後が私の好きな分かち合う行為、即ち、収穫物を皆で分かち合ってその喜びをお互いに享受し、共有することに繋がるとの呼び掛けの詞です。
・我々がこれまで取り組んできたフラワーケーキや、みどりのサンタ活動、レモンの回廊づくりなど、企業の方々にご支援いただいて智の木協会が21世紀を見据える存在となってきたとの実感を得ることが出来るようになりました。今、2025万博に向けてレモンプロジェクトを具体化していこうと検討も進めています。以上、これまで智の木協会設立に至った経緯をお話させていただきました。ご清聴ありがとうございました。
創立15周年「記念講演」
〇講 師:両備グループ代表 兼 CEO 小嶋 光信 氏
〇テーマ:両備グループが目指す“まちづくり”~杜の街グレースでの取組みを中心として~
・皆様こんにちは。智の木協会が出来て15年も経ったかと思うとびっくりしております。小林代表幹事とは、先生が岡山大学の時からの長いお付き合いになります。当時は、植物工場を一緒に作ったりして、小林先生のエネルギーには驚いたものです。今も私どもの野菜は、オルトラーノという名前で販売を続けております。小林先生とは長いお付き合いを経て、智の木協会の会員となり、智の木協会も15周年を迎えられましたことは感無量に感じています。
今日は、私ども両備グループが目指す“まちづくり”杜の街グレースでの取組みを中心としてというテーマでお話させていただきます。
<冒頭、両備グループのCMを放映。CMソングは小嶋会長が40年前に作られたとのこと。>
・私ども両備グループは、1910年西大寺鉄道から端を発して、今はトランスフォーメーション、トラベル、ICT部門などに業態を拡大して事業活動をしている。それからもう一つまちづくりという点からは、私が社長になった時に両備不動産という名前だったものをまちづくりという名前に変えました。この不動産部門だけは私のポリシーに反するのでまちづくり部門とした訳です。現在では、44社、年商が約1,600億円、経常利益が90億円、社員総数8,000人を超える、創立113年のグループになりました。
・私が社長になった時に感じたことは地方と大都市の生産性の違いですね。地方と大都市の違いというのは、いかに早く物事を進めていくかということに対して地方はゆっくりした進め方でその通りやろうとするところですね。地方の社員も都市部の社員も学業の偏差値は違いませんが、部下の私からのメールに対する返信スピードなどからもののとらえ方に大きな違いがあることを痛感しました。
・私どもは行動規範というものを作っております。経営理念や経営方針は一生懸命作るのですが、行動規範を作っている企業はほとんどありません。私ども行動規範は、「忠恕」です。私どもの創業者である松田荘三郎の戒名に入っているのです。この「忠恕」という言葉を経営理念に入れたのは、我がグループの秘密でもありますが、どんなに景気が悪くても社員を首にしてはならないの一点です。社員を大事にする。社員に対する想いをこめることが、実は「忠恕」という言葉からずっと流れている
思いやりを持つということなのです。
・この思いやりが私ども経営の大きなポイントで、交通系でも実証実験による「津エアポートライン」の立ち上げや、和歌山電鐵の公有民営による事業再生などを通じて新たな鉄道の制度を作りました。
地元井笠鉄道の再生も交通政策基本法の創設に繋がりました。規制緩和では、地域の公共交通はもたないということを実証していった訳です。その中で私の人生で最も素晴らしいパートナーは、和歌山電鐵のたまちゃんです。いちご電車やおもちゃ電車、電車ミュージアム号などいかに地方鉄道というものを楽しくするかということで再生を進めてまいりました。
・1999年に社長になって、最初にやったのは、「歩いて楽しいまちづくり」という標語をつくりました。公共交通利用で歩いて楽しいまちづくりなのですが、これからの世の中は中心部に歩いて楽しいまちを作ろうと考え、LRTの導入もしました。歩くことと公共交通は、実は一心同体なのです。
・そして2004年に作ったのが岡山の柳川のところに108mのグレースタワーです。東京にある一番VIPなマンションより、もっとVIPなマンションを作った。いわゆるコンシュルジュを置いて365日24時間対応の地方では初めてのスタイルを作りました。実は皆がやる逆さをやったのです。次に、開発したのが単独の再開発です。東京の会社も入り乱れてコンペした小学校の跡地開発です。我々の提案が受け入れられ大手に勝って再開発になりました。やっと本当のまちづくりができたという感触を得て、それが、この度の「杜の街グレース」、即ち、今やっといるプロジェクトに繋がりました。
・この杜の街グレースプロジェクトは、イトーヨーカドーがあったところで1万2,000坪あります。実は、イトーヨーカドーとイオンとが大喧嘩をしたようですが、その後、イトーヨーカドーのトップが来られて、是非この土地を買って岡山のために何かやっていただきたい。大手に売ってしまえば、細切れで売られ、それは地域のためにならない。是非その跡地を素晴らしい街に変えて欲しいと言われ、こちらもそれなら是非やらせていただきたいと言って始めたプロジェクトであります。
・岡山駅から歩いて10分、楽しいまちづくりという形で作っています。オフィス棟、グレースタワーというマンション360戸、あとはプラザ、よろしくいわゆる商業棟です。あと半分残してあり、地方に足りない先進国としての2つの問題点、その一つが観光立国になっていないこと、もう1つは農業国でないことです。なんとしても世界のVIPに来ていただきたい。岡山に泊まっていただきたいという想いからホテルの誘致も行いました。レジデンス棟、タワーマンションを作った時にはたわけたやつだと言われましたが、発表したら全部即完売で、本当にびっくりするくらい地元の方に高い評価をして頂きました。
・それからプラザに約40店舗の岡山もんだけを集めた飲食店街を作りました。一番喜んだのは地元 の人たちです。その後は、海外の航空会社の方たちが興味を示しました。すぐさま、やって来て、ここで岡山のロゴフードが全部食べられると言うことで評判にもなりました。
・先程、小林先生のお話にもありましたが、植栽にはお金がかかります。実は、地方都市は緑が多いと思うと大間違いで、実は緑が多いのは東京ですね。地方都市は緑が少ないのです。郊外に行くと緑だが多いですが街の中はほとんど緑がない。そこに緑の街を作っていくことが基本になっています。
・両備グループが目指すまちづくりは、最初に申しあげた「忠恕」のまちづくり、思いやり溢れるまちづくりです。いくら立派な街を作り、立派なハードができても、やはりそこに住んでいる人たちが、本当に思いやり溢れ人たちがその街に住む、豊かに暮らしていることが本当のまちづくりだろうと思っています。まだまだやらないといけないことがいっぱいあります。
・私自身としては、両備グループが目指すまちづくりとは、簡単に言うと「忠恕」溢れる思いやりの溢れるまちづくりです。小林先生はじめ智の木協会の皆さん方と共に、是非手を取りながら本当に素晴らしい日本になりますように。素晴らしい世界になりますように頑張りたいと思いますので、よろしくお願いいたします。どうもありがとうございました。
会員リレートーク
〇(協力会員)伊太祁曽神社 禰宜 奥 重貴 氏
・まず、なぜ神社の人がここにいるのかと思われている方も中にはいらっしゃると思います。簡単に言いますと、この伊太祁曽神社にお祀りしてる神様が日本の国に木を植えて回った神様であると日本書記に記されている神様なのです。そうしたことで智の木協会ともお付き合いをさせていただいて、今ここに立ってお話をすることになりました。
・木はどこから来たのか、木の神様、少し木の話をさせていただきたいと思います。遠い遠い昔のお話ですが、スサノオノミコトという神様、アマテラスオオミカミという伊勢神宮に祀られている神様の弟で、この神様が日本の国には木が一本も生えてないと、大変残念なことだとお考えになられたことからお話が始まります。この一本も木が生えていない日本という島を緑豊かな島にしようと考えられました。
・木はどうやってできたと思いますか。スサノオ様は、まず自分の髭を抜いて禿山になげ、髭が伸びて杉の木に、胸毛を投げて檜に、眉毛を投げてクスの木に、お尻の毛を投げてマキの木に。日本書記には4つの毛しか記していませんが、多分、頭や脇など、体中の毛を抜いて木を作ったと思います。
・スサノオ様は、イタケルノミコトという神様、そしてその妹のオオヤツヒメノミコトとツマツヒメノミコトという3兄妹に木の種を植えてまわるという役割を与えられたそうです。この神様はどこにいるかというと木の国、木の神様のいる場所なので紀の国と呼ぶようになり、これが今の和歌山県で、この神様が伊太祁曽神社にお祀りされていると日本書記に書かれています。神社が出来たのは、大宝2年(西暦702年)今から1,320年くらい前には、伊太祁曽神社という名前が記録に出てきます。私の父親が50代目という形で神社をお守りしています。
・神事の中で一番大事なお祭りは、「木祭り」です。毎年4月の第一日曜日に開催し、全国から木材関係の皆さんにお集まりいただき、神事を行い、神様に木の恩恵の感謝をして、賑わい行事として餅撒きとかチェーンソーカービングの実演、青空市なども行われています。今年は、小林先生も参加いただき、お餅撒きもしていただきました。今年からは、神事としてではなく、もっとカジュアルにいろいろな人に木を楽しんでもらおうと木のおもちゃで遊べるコーナーや、お箸づくり、色鉛筆づくり、撒き割り体験などイベントにしました。和歌山電鉄との一層の連携強化をお願いしたいところです。
・智の木協会様も私どもと違う形で緑の普及などに取り組んでこられています。今後とも両輪となって色々な形で緑の普及の力添えができればと思っております。15周年おめでとうございます。
〇(個人会員)近土 真紀子 氏
・智の木協会創立15周年、おめでとうございます。現在、ヘレンドカフェのお世話役をさせていただいております近土と申します。
・2011年にテラプロジェクトさんが主催されている「第3世代大学 塾SIN」を受講させていただき、その時智の木協会の存在を知り、当時主幹であった小林先生の奥様から会員になることを勧められ、2つ返事で会員にしていただきました。
・京都に残る老舗の訪問、月桂冠様での新酒の試飲、伊太祁曽神社の訪問など多くの企画に参加させていただきました。その中でも2012年に智の木協会初の海外ツアーに参加させていただきました。キューケンホフ公園では、チューリップが真っ盛りで小林先生にチューリップの原種について教えていただきながら貴重な体験をさせていただきました。
・智の木協会は、設立当初から緑の価値を見出す取り組みを進めておられました。小林先生は、事あるごとに19世紀はリアルゴールドの時代、20世紀はブラックゴールドの時代、21世紀はグリーンゴールドの時代とのスローガンを掲げられ、その意味を社会に発信してこられました。
・そこで小林先生が注目されたのが、ヘレンド社のアボニーグリーンと名付けられた磁器です。ヘレンド社は国営企業で、ヴィクトリア女王が愛用されたことから世界的に有名な会社になりました。小林先生は、緑の活動をさらに広く知っていただくために、そのカップ&ソーサ―に緑のサンタロゴを入れたいとの強い想いがおありで、智の木協会会員企業でもあるマイティワイン鈴木社長様のお力添えをいただき、2016年国境を越えたハンガリーヘレンド社との面談が成立し、小林先生の熱い想いを先方にお伝えした結果、2017年5月にヘレンド社へご一緒に訪問する機会をいただき、先方から全面的な協力をいただくことができました。
・それをきっかけにヘレンド社のアボニーグリーンのカップ&ソーサ―を使ったコーヒーや紅茶をフローレンス様のスイーツをいただきながら講師の先生をお招きして和やかなひと時を過ごす「ヘレンドカフェ」と名付けた会員事業をこれまで9回開催してまいりました。その参加費とともにカップ&ソーサ―の購入収益の一部が緑の活動資金となり、次世代の為の緑化事業にあてられています。次回、第10回目のヘレンドカフェを予定しておりますので、どうぞこの機会にご参加くださいませ。ご清聴ありがとうございました。
(賛助企業会員)
一般社団法人 日本DF WALK 協会 代表 山口 マユウ 氏
・今日は、緑と歩くというテーマでお話させていただきます。私が何故緑と関係があるのかですが、実は、一般社団法人日本DF WALK 協会のDFとは「ディープフォレスト」の訳です。直訳すると深い森という意味がございまして、深呼吸をする、自然体で歩くという意味がございます。
・私は、この協会を立ち上げるにあたり、90歳になってもハイヒールのはける人生、ゴルフのできる人生というものを掲げました。それをコンセプトに歩く3拍子ウォークというウォーキング法をメソッドとして、健康寿命の延長や、寝たきりをゼロにする活動を行っております。
・私の事務所は、一年前にここのE区画に居を構えることができました。これも小林先生との出会いが あったからで、以前から思いやりという温かい心を持って対応いただいております。こちらにお世話 になるきっかけは、テラプロジェクト様も参画されている「梅田歩くフェス」というイベントです。 梅田を緑と、そして歩く街にして行こうと10年計画が始まり、昨年は3回目を迎えました。
・私は、認定講師を育成しています。認定講師を育成しながら各企業様・行政様、そしてレッスンに来てくださる方々とともに歩くことで健康になるということを目指しています。企業様に伺うことも増え、転倒防止インストラクターと呼ばれています。皆さんもご存じのとおり、健康寿命と平均寿命の差が10年あることは本当に悲しいことで、この10年をどうにか短くしたいのが私の願いです。
<ここで転倒防止のための足腰・筋力チェック、柔軟チェック、バランスチェックの体験レッスン>
・ありがとうございます。あとは歩き方が重要です。ポイントは歩幅にあります。歩幅は、身長-100cm を心がけてください。平均して今より8cmぐらい広げた方が良いので、60歳以上の方は5cm歩幅を伸ばすことを意識してみてください。ダイヤモンド社から痩せる三拍子ウォークという本が出ておりすので、是非そちらをご覧いただければ幸いです。
・最後に、色々なご縁がつながりまして、イギリスとの懸け橋として歩く親善大使という名前を頂戴しイギリスツアーを企画しました。ロンドンはじめ不思議な国アリスの街スランディドノにも行きます。フットパス発祥の地イギリスですので、自然の中、緑の中を歩いて心も体も元気になって、120歳まで元気でいれる時間にして行きたいと思っております。皆様も是非ご一緒に行かれませんか。
閉会挨拶
〇智の木協会 学術理事 岡澤 敦司
(大阪公立大学大学院農学研究科 准教授)
・智の木協会学術理事ということで閉会の挨拶をさせていただきます。私は、小林先生の門下生でありますので、まず個人として小林先生にお祝いを申しあげます。小林先生、15周年本当におめでとうございます。
・先程の小林先生のスライドを拝見して2003年当時を懐かしく思い出しました。小林先生はいつも一歩先を考えられており、スフィアに代表される小林先生のビジョンが20年ぐらい早かったと痛感いたしております。
・本日は、中條様、松村様からのご祝辞、小嶋代表様からの大変示唆に富んだお話を聞かせていただき、大変参考になりました。また、会員の奥様、近土様、山口様から智の木協会との関りの中での想いと活動をご紹介いただき、会員皆様の想いや活動が智の木協会を支えていることを再認識することができました。
・私個人について少しお話させていただきます。2022年4月に大阪公立大学の名称が変更されたタイミングで、私の所属していた生命環境科学部が農学部に戻りました。農学部に戻ったことで実は、 入試倍率も上がりました。最近の高校生にもやはり農という言葉が再び刺さるようになってきたことを実感しています。そういう意味からも智の木協会が取り組む緑の活動も今後益々発展して注目を浴びるのではないかと期待をしております。
・最後に、今日お話いただいた方々もそうですが、智の木協会のいろいろな立場の方々がこのように集まってお互いにコミュニケーションを取りながら共生するコミュニティを作って発展して行くことがこれから非常に大切になってくると今日改めて認識した次第です。本日は、どうもありがとうございました。閉会の挨拶と代えさせていただきます。
記念撮影
会員交流会
シンポジウムならびに記念撮影終了後に、会員交流会を開催し会員相互の懇親が深められた。
以上
コメント