信濃の春はネコヤナギがまろやかなビロード状の芽を膨らませ、庭先で福寿草が黄色の丸い芽をのぞかせる時から始まる。
やがて、梅が咲き、桃が続く。
そして、4月中旬、桜の季節となり、しばらくして、リンゴの花が追いかける。
遠望すれば、山懐が深く黄昏(たそがれ)を演出する中央アルプスの山々が鎮座し、そこには、まだ、雪化粧が残る。
4月に入ると伊那の谷を渡る南風が春の息吹を運び待ち焦がれた信濃路の春となる。
しんしんと冷える二月のかかりの寒さに耐えてこそ、花の色や木々の緑は深まる。
信州と言えばリンゴを思い起こす人は多い。
ご存知のようにリンゴはバラ科に属する植物である。
小学校の理科の時間に「リンゴはバラと同じ科の植物」と聞いても全く納得しなかったことを思い出す。
「イチゴもバラ科で果実が食べられる植物はバラ科のものが多い」と聞いた。
イチゴとバラとサクラとリンゴ、子供心には結びつかなかった。
当時、それなりの秘策を考えついた。
4月中旬から下旬に咲く、伊那公園、高遠公園の桜の香りを記憶し、しばらくして咲き始めるイチゴとリンゴの花を待つことにした。
地面に伏してイチゴの花に鼻を近づけ息を鼻からいっぱい吸い込んだ。
香りは嘘をつかず、白い花びら5枚からなるイチゴの花は期待どおり、清潔な甘い香りを示した。雄しべもいっぱいあった。
バラ科の果実を比較してみると、花びらを支え、まとめる花卓や子房の部分は、花びらが落ちると徐々に膨らみ、それを食することになる。
バラであれば、紅茶にも使われるローズヒップであり、小リンゴと言われるカイドウ(サクランボ状に果実がつく)を見ると、確かにローズヒップによく似ている。この実もパリパリして、いかにも野生リンゴの味がする。
私的にみても、バラ科植物に結構お世話になった。
父は戦時中、浜松から信州、伊那に疎開し、65歳の定年を待って果樹園を始めた。
定年後の人生の設計図を50歳代後半から着々と描き、畑に紅玉リンゴと二十世紀梨を植え始めた。
そして、退職金の一部と年金をつぎ込み、まともに果樹園を始めたのである。
今までと全く違う専門分野に乗り出して、未経験を見よう見真似で始めたのであるから、ベンチャー事業を始めたと言ってよいのかもしれない。
ついに農業共同組合員となり、梨やリンゴを出荷し、数百万円の年収を上げ大いに自慢していた。
そのドライビングホースは何であったかと親父が果樹園を始めたのと同年代になった今、あれこれ考えてみた。
果樹には、当たり年と裏年があるが、一般的に、植物は嘘をつかない。季節・気候を読み適切な手入れをすれば必ず結果が伴う。
また、退職金と年金の投入は、私を例にとってみると、テニスクラブへの入会金と月々の会費にあたる。
見返りに、親父は、結実の楽しみを手にいれ、成果物を友達に送り感謝され、一部を売って利益をあげ、当時の私への学費を生み出した。
私は、友人づくりと健康増進にとテニスに精を出している。
やはり、親父は、生き甲斐ばかりでなく利益をあげたのであるから偉大かと思いつつも、どちらの生き方が望ましいかは考えないことにした。
信州の厳しい冬に耐えた、梨やリンゴは五月晴れの太陽を浴びてひたすら生長する。
そして、秋には立派な実をつける。
現在、室内緑化・屋内緑化を進める活動の中で、「花が咲き実のなる植物には、明日につながる夢がある」ことを強く実感し始めている。
そして、2008年末、果樹の開花、生長と結実に一喜一憂していた両親の生き様をあれこれ考えていたおり、マルチンルターの名言に出くわした。
”Wenn morgen die Welt unterginge, würde ich heute ein Apfelbäumchen pflanzen.”
「もしも明日世界が終わるなら、私は今日リンゴの木を植えるだろう」
また、開高健氏は、ゲオルグの言葉に共鳴し、好んで、「明日、世界が滅びるとしても 今日、あなたはリンゴの木を植える」を書に用いた。
この言葉をめぐっては諸々の意見が飛び交っているが、私には、明日に着実に夢をつなぐ存在として植物を位置づけることは、具体的に成果をとらえやすく、その例として果実のなるリンゴを引き合いに出したのであろうと思える。
リンゴの花は花弁にはにかむような紅をさし、純潔で清楚、香りは上品である。寒さに強く、秋には、しっかり実をつける。
ニュートンは、その落ちるのを見て、万有引力の法則を見出し、欧米では、「An Apple a Day Keeps the Doctor Away」 「毎日、一つのりんごを食すれば医者は要らぬ」の例えにもなっている。
「Apple polish」は、良い例えではないかもしれないが、白粉(天然ワックス)が表面を覆い、もぎ取った手の跡が残る実をそのまま病人に渡す不届き者はいて欲しくない。食べる寸前に磨いたピカピカに光ったりんごは視覚的にも良く美味しいはずである。
アルプスを背景に、明日への可能性を秘めながら清素に咲くリンゴの花は、万人が愛するシンボル花であり、私がリンゴと育ったことは、幸いに「植育」を実体験したことでもあると思っている。
私は、日々の生活の中で植物と深く触れ合うことで、緑豊かな環境の重要性を一人でも多くの方に認識してもらいたいとの思いから智の木協会の活動に打ち込んでいる。
今のような高齢化社会との遭遇は人類にとって初めての体験であり、いかに充実した思いで第三世代を送るかは極めて重要な人類共通の課題であり、その中で植物は、最有力な癒し要素となりえるし、また、我々の最良なパートナーでもある。
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