第五回:智の木協会理事 大塩裕陸「椎の実の味を知っていますか」

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私は東京の板橋区で幼少期から25歳まで育ちました。今では地下鉄有楽町線を利用すれば池袋まで10分足らずの便利な土地ですが、当時は東上線と西武池袋線に挟まれた田園地帯でした。「武蔵野の影 消え失せて 人家続きの 上板橋 ・・・・・」これは母校の校歌の一節です。(因みに作詞は、「ふるさと」「春が来た」「春の小川」「もみじ」などの作詞で有名な高野辰之先生です)
歌詞には人家続きとありますが、まだまだ水田や畑が多く、晴れた日には彼方に富士山を望むことが出来、武蔵野の面影を残した土地でありました。今となっては叶いませんが、高野先生は実際に母校を訪問されてこの詩をお書きになったのか尋ねてみたい気がいたします。農家の人たちが初夏には田植えや野菜つくり、冬には麦踏をする姿を日常的にみられたものです。

 

武蔵野といえば雑木林やケヤキを想起する方が多いでしょう。でも私の記憶に強く残っているのは椎の木です。テレビやゲーム機のない時代ですから子供たちの遊びは専ら魚とりや虫とり、鬼ごっこやかくれんぼなどの野外での遊びでした。実家の周りには椎の木が4〜5本植わっていて一人で遊び相手のいないときにはよく木のぼりをして遊んだものです。
 椎の木は枝が混んでいて登りにくいのですが、適当に枝を切ってそこにリンゴ箱から採った板を渡して今でいうツリーハウス風のものを作って遊びました。椎や樫、枇杷の木などは足をかけても丈夫で折れることが少ないので安心です。一方柿の木は折れやすいから登ってはいけないと教えられていました。これは昔の人の知恵で柿泥棒を戒めるための話かも知れません。

写真説明: 椎の実・・・熟して落ちるのはあと1カ月

 戦後の貧しい時代には甘いお菓子をおやつに頂くような習慣はありませんでしたので、子供たちは自力で野外の植物を採集して食べたものです。食べられるものとそうでないものとの区別は多くは農家の友達から教えられました。ノイチゴやグミ、カキやクリ、ビワ、イチジクなどを食べた記憶がありますが私の一番のお気に入りは椎の実でした。椎の実はどんぐり(樫の実)やおかめどんぐり(クヌギの実)と違ってそのままでも、鍋で炒っても食べられてほのかな甘みがとても美味しいものでした。近所の神社の境内や林のどこに椎の木が植わっていて、いつ頃行けば椎の実を収穫できるか当時は良く記憶していました。

写真説明: 東大赤門の両側に配置された椎の木

 

先年母校を訪れた時は丁度椎の実が熟れて地上に落ちる季節でしたが、一面に落ちている椎の実を拾う人は全く見られず、わずかに銀杏(イチョウの実)を拾う人の姿を見たのみで寂しい思いをしました。
 椎の木はブナ科シイ属に分類され、スダジイとツブラジイがあると知ったのはかなり最近のことです。常緑の広葉樹で日本の照葉樹林帯における代表的な樹種であり、関東以西では山野に群生しているのを普通にみられる一方で平地では庭園樹としても広く観察することができます。文京区では東京大学,椿山荘、その他区内の公園内でも樹齢100年を超す立派な大樹を見ることができます。私の住んでいる北摂地域では、今は丁度クリの収穫最盛期でクリ拾いの季節です。椎の実が落ちてくるのはまだ1カ月くらいかかりそうです。今年は久しぶりに椎の実の味覚を味わってみたいと考えます。

ところで万葉集の142番歌に有間皇子の歌として家にあれば笥(け)に盛る飯を草枕旅にしあれば椎の葉に盛る
という歌があります。私の会社の先輩でこよなく歌を愛する人と道を歩いているときに、傍らのマテバシイの街路樹をみて、ふっと口にした言葉が今でも気になります。「万葉集にでてくる椎の葉というのはマテバシイではないだろうか、椎の木では葉が小さすぎるとおもう。」皆さんはどうおもいますか。私はマテバシイでもご飯をその上に盛るには小さい気がします。ホウの木やトチの木、カシワの木なら十分な大きさがあります。あるいは神事として形だけ椎の葉に飯を盛る習慣があったのではないでしょうか。いろいろ想像するのは楽しいものです。

写真説明: シイとマテバシイの葉の比較

 また最近カシノナガキクイムシ(略称カシナガ)という害虫がナラやクヌギ、シイ、カシを食い荒らし枯死させる現象が広がりつつあり、林業関係者の間で大きな問題となっています。私も京都御所の立派な椎の木が被害に遭い完全に枯死しているのを目の当たりにし、何とか対策がとれないものかと憂慮しているものの一人です。

 日本列島を上空からみれば緑に包まれた美しい島国であることを再認識させられます。地球環境をささえている森林、樹木の大切さを肌で感じるためにも是非一度椎の実を味わってみてはいかがでしょうか。(平成23年9月30日)

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