第3回 智の泉談話会 報告

 

  1. 開催日時: 2020年1月18日 14時-16時
  2. 開催場所: テラプロジェクト Aゾーン
  3. 参加者:  企業賛助会員:2社
          個人会員:9名
          外部参加:10名
          事務局:6名     
  4. 話題提供者 :智の木協会理事  吉信勝之氏
    ソングライター  松井宏太氏
  5. 談話会

話題提供 「ビートルズが社会に与えた影響」

ビートルズは、1962年にイギリスのリバプール市で生まれた。

イギリスは、グレートブリテン島のスコットランド王国、イングランド王国、ウェールズ公国とアイルランド島の北部(北アイルランド)からなる連合王国である。
リバプールは、十三世紀にイングランドに併合されたウェールズ公国にある港町である。産業革命後は、マンチェスターに近いこともあり、ロンドンと並ぶ貿易港となり、三角貿易(イギリスから工業製品をアフリカへ運び、アフリカから黒人奴隷を西インド諸島や北米大陸に運び、アメリカからタバコや綿花などを積み込んでイギリスに帰ってくる貿易)で栄えた。
しかし、リバプールは、ロンドンに次ぐ貿易港だったために、第二次世界大戦中に、ドイツのV 2号ロケットなどの空襲で破壊しつくされた。
戦後、日本やドイツの大都市が一早く復興したのに、リバプールの復興は遅れた。イギリス国内でも、取り残された都市となった。

イギリスは、「伝統の国」と言われるが、それは社会が今でも階級社会であることの裏返しの言い方である。
イギリスは、地主・貴族を中心とする上流階級、実業家・専門職などの中流階級、そしていわゆる労働者階級の三つの階級からなる階級社会である。
上流階級は、十一世紀に、ウィリアム1世がイングランドにノルマン朝を開いた時に随行してフランスから渡ってきた貴族とその後に貴族に叙せられた新しい貴族の末裔たちが属する。
また、「ジェントリ」と呼ばれる大土地所有者や資本主義社会の発展の中で,財をなした資本家階級も上流階級に属する。中産階級には、産業革命以降の経済的発展が生んだ中小企業経営者や,医者・弁護士などが属する。
一方、労働者階級は,基本的に資本家の用意した職場で働く以外の収入を持たず、劣悪な生活環境しか享受できない。

 では、ビートルズの四人はと言うと、ジョンを引き取ったミミおばさんの家は中産階級であった。ジョージとポールの家庭は、労働者階級の上層だった。リンゴの家は、労働者階級だった。
ビートルズは、イギリスの復興の遅れた街のどちらかと言えば、労働者階級の若者から生まれた。

 1962年にビートルズが生まれ、イギリス発の音楽が世界を席巻したことは、様々な面で芸術史に残る画期的なことであった。十一世紀に、ノルマン朝によってイングランドにはノルマン人(アングロサクソン)が移住したてきたが、スコットランド、アイルランド、ウェールズには、ケルト人が住んでいた。
その後のイギリスの歴史には、シェイクスピの戯曲以外に、これと言った芸術が生まれていない。その原因は、「イギリスがどの時代でも戦争を行っていたからだ。」と言われている。
その、芸術を生まないイギリスから、二十世紀に新しい音楽を世界へ届けたのが、ビートルズだった。
ビートルズの楽曲の80%は、若い男女の恋愛の歌である。残りの20%は、自分自身の内面、人種差別撤廃、世界平和などを歌っている。

「ゆりかごから墓場まで」と言われたイギリスの社会福祉政策は、労働者階級の社会保障制度の一環であった。しかし、ビートルズの輝いた1960年代には、頻発する労働紛争と経済成長の不振から、イギリスはドイツやフランスから「ヨーロッパの病人」と呼ばれた。
低経済成長下で、社会保障制度を維持するために、労働党のウイルソン政権は、富裕層への累進課税を強化し、その税率は最高では95%に達した。

ビートルズのメンバーの収入は、この最高税率に該当した。
ジョージは、95%と言う途方もない税率を皮肉って、Taxmanを発表した。また、ポールは、国民が大きな犠牲を払って守っているはずの社会保障制度下で起こる悲劇を、身寄りの無い老婆と孤独な神父に託した物語調の曲、Eleanor Rigby で歌った。

一方、ビートルズは、アメリカの公民権運動にも大きな関心を持っていた。
1964年のアメリカツアーは、8月に北部や西海岸から始まり、9月11日はフロリダ州のジャクソンビルでのコンサートだった。既に、人種差別を撤廃する公民権法が発効しているにも拘らず、南部では多くの場所で、有色人と白人の座席が区切られ、黒人は隔離され差別されていた。
ビートルズは、「その境界を取り払うまでプレイしない」とコンサートの開始を拒否した。結局、ジャクソンビルのビートルズのコンサートで、初めて、有色人と白人が同じ座席で音楽を楽しんだ。

ビートルズは、「僕らはすべての人々のために演奏し歌っている。この人とか、あの人という特定の人たちのためにプレイしたいんじゃない。ただ皆のためにプレイしたかったんだ」と語っている。
その後、南部でも、コンサート会場で有色人と白人の座席を区切ることがなくなった。

ポールは、1968年に、Blackbird を発表して、公民権運動を支援した。ブラックバードは、ヨーロッパに広く生息しているツグミの一種だが、Blackbirdではアフリカ系アメリカ人の女性のことを象徴している。
半世紀後の2016年に、ポールはアーカンソー州ノース・リトルロックで、Blackbirdを作詞・曲する時にインスピレーションとなった黒人女性たちと対面した。
女性たちは、1957年に起こったリトル・ロック高校事件のLittle Rock Nine(リトルロックの9人)のメンバーの中の二人だった。その夜に行われたコンサートで、ポールはBlackbirdを紹介する時、「60年代、アメリカで、そして、特にこの地、リトル・ロックで公民権をめぐるたくさんのトラブルがありました。
僕らは、それを英国で知ました。僕にとっては、この地こそが公民権運動が始まった場所だから、僕らにとって本当に大切な場所なのです。
僕らは、何が起きているのかを知って、大変な思いをしている人達に同情しました。
そのことが、僕に、もし辛い思いをしている人達に届いたら、少しでも助けになるような曲を造ろうと思わせたのです。そして、その曲が次の曲です」と、話したという。

ビートルズは、現代音楽に、クラッシク音楽並みの芸術性を吹き込んんだ。一方で、ビートルズは、若者を肯定する文化をイギリスに、そして世界に持ち込み、新しいファッション、髪型、提案した。
音楽業界にも、新しい風を送り込んだ。職業作詞家、作曲家は彼らから始まった。
自分たちのレコード会社を持ち、印税をビジネス化した。音楽から映画まで自分たちの会社で、取り仕切った。

生存しているビートルズのメンバーは、80歳を超えた。
イギリスでは、ビートルズが過去の現象となりつつある。しかし、日本で、そして世界では、ビートルズは今でもing である。
昨年末に、1964年に制作されたモノクロの映画「ハード・デイズ・ナイト」が、京都、兵庫(新開地)、宮崎の劇場で上映された。
ビートルズのコピーバンドが最後まで残るのは、日本ではないか、とも言われている。
今この時も、世界のどこかの国で、ビートルズの曲が聞かれ、映画が上映されている。

6. 事務局後書

話題提供の中で、松井宏太さんにBlackbirdを歌ってもらいました。また、話題提供の後にStand by Me、While My Guitar Gently Weeps、Let It Beを聞かせてもらいました。

ビートルズの輝かしい功績とイギリスの現状が好対照でした。イギリスは、産業革命で強固になった階級社会が、戦勝国であったが故に温存された。その歪の中から生まれたビートルズがイギリスで忘れられようとしている。
ビートルズを忘れたイギリスが、どこに流れ着くのか、関心が強くなりました。。

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