第八回:智の木協会理事長 寺谷 誠一郎「木々達への改心」

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 宇宙から見ると、我々人間はまるで目に見えない塵か埃のような存在でしかありません。その塵か埃のような人間が、こともあろうことに決して人間の、目で見ることの出来ないコロナウィルスによって恐怖のどん底へ叩きつけられているのです。この目に見えないコロナによって、世界中の我々人間が、もう一度あらゆる分野での生きる原点にたち帰る警告なのかもしれません。

日本の国土を思い起こすと、約7割弱が山や森に囲まれた地形で成り立ち、古来日本人として生活をしてきました。

そんな中、人間の欲望なのか、浅はかかなのか「木偏に(ナシ)」と書いて「橅」ブナと呼びますが、私の勝手な解釈ですが、

“おまえのような図体ばかり大きな木はいらない!!”

“もっと金のなる杉や桧の方がよっぽど価値があり、金になる”

とバッサバッサと大木の橅を切り捨て、金になる杉や桧に植え替えていきました。

ところが、人間の欲望から切り捨てられたはずの「橅」の木は、実はほかの木々より巨木が故に大地に深く根を張り、降った雪や雨水を杉や桧の浅い根っこよりも数倍も多く保有して何年もかけ、我々人間が困らないように干ばつ等から守ってくれているのです。そして、巨木が故に広く、もっと広く大きな枝を張って、新鮮な空気を発散し、私たちを支えてくれているのです。

木の根っこと云えば、もう一つ私は二十年間小さな町の町長をしてきました。

その中で気づかされた事は、決して行政だけで町民を守る事はできない、ということです。

子供からお年寄りを守る為には、なんと云っても町民ボランティアの存在が必要なのです。ボランティアの人達は決して人前で目立とうとせず、まるで木の根っこのような人達です。木の根っこは苔で覆われ、土の下でしっかりと根を張り、大木を支えているのです。

 もう一つ、日本だけではないかもしれませんが、トラブル、喧嘩の仲裁にしばし使われている日本の諺の中に「まぁまぁここのところはお互い水に流して」とよく言われています。

水のないゴビ砂漠や、サハラ砂漠で「まぁまぁ水に流して」と云っても水がありません。

又北極の氷の上で、氷を温めて水に戻してから「まぁまぁ水に流して」温めている内にケンカ別れをしてしまうでしょうね。

 私達は改めて森や山のありがたさに感謝し、もう一度世界中の人達と自然の恵みを共有しなければならないのではないでしょうか。一度だけでも木々達が我々人間に向かって

「お前達のために、降ってきた雨水を保有し、干ばつの危機に備えてやっている!!お前達の目には決して触れる事がない土や苔で覆われている根っこで巨木を支え、新鮮な空気をプレゼントしてやっているんだ!!」

一度だけでも、そんな木々達の嫌味な言葉を聞いた事があるのでしょうか。人は人類は余りにも横柄になり過ぎてはいないでしょうか?木々達は風雪に耐えながら、愚痴も言わず、我々人間の為に生きてくれているのです。

我々人間の生活様式が便利になるのも必要な事かもしれません。しかし一方で、ただだまってひたすら我々の為に尽くしてくれている木々達の存在を今一度見直し、「ありがとう」の感謝の心を持つ事も忘れてはならない気がしてなりません。

                                      智の木協会 理事長 寺谷 誠一郎

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